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さようなら 山手線
(山手電車区)




103系発祥の地でもある山手線。
ウグイス色の103系が活躍していた。
(絵:NAVIEW)


103系発祥の地、山手線の103系。
2005年2月26日に行われた、
『山手線開業120周年記念イベント』の光景。
八高・川越線で活躍していた103系を展示し、
幕も「山手線」と表示させていた。
(o-tkさん撮影)

走行区間:大崎〜池袋〜田端〜品川〜大崎
在籍した種類:0番台/900番台
         :910番台(M/M')

 103系が最初に投入された路線が、「東京の顔」とも言われている山手線であり、山手線は103系発祥の路線である。

 山手線の103系は、1963年3月に登場し、最初に車号が白文字で書かれた試作編成が投入され、後に車号が黒文字の量産車が続々と投入された。(白ナンバーの試作車は、量産車が登場する前に、黒文字の900番台に改番された。)103系が投入される前、山手線には茶色の72系と黄色の101系が走っていた。そこに、ウグイス色(黄緑)の103系が投入され、以後山手線に「黄緑」のイメージを植え付けることとなる。

 当初は8両編成で運転を開始したが、後に現在の10両編成となる。

 1967年には、超多段主制御器試作車の910番台(モハのみ)も登場した。

 1973年、保安を強化するため、山手線と京浜東北線にATC(自動列車制御装置)を搭載することが決まり、これに伴い、ATC搭載に対応した、いわゆる「高運転台」のクハ103が投入され始めた。そして、1979年、ATC対応車の増備により山手線から低運転台編成が消滅することとなった。1981年12月より、山手線と京浜東北線でATCの使用が開始された。

 その後も103系は、山手線の主力車両として活躍を続けた。

 しかし1984年、103系の後継車となるステンレス製に黄緑帯の205系が投入され始めた。その後も205系の増備が進み、1988年2月26日、103系はとうとう生まれ故郷である山手線から撤退することとなった。しかし、黄緑色の103系は、山手線に「黄緑」のイメージを植え付け、黄緑は以後山手線のラインカラーとなった。




山手線(山手電車区)の103系の走行音は、
管理人が幼い頃に引退したために、
収録することができませんでした。

(管理人:NAVIEW)




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